秋田逃亡事件

午前3時頃、

会社の寮から逃亡した。

マイカーに乗り、

ひたすら北へ向かった。

高速道路は使わず、

下道をただひたすら北へ!

日本海を左にして。

午前8時頃、柏崎付近を通過。

出勤する時間だ。

無断欠勤をしてしまった!

自分の行動に後悔は無かった。

もう、会社に行きたくなかったから。

ラクになりたかった。

ただそれだけ。

大きな仕事が集中してしまい、

もう自分の手ではどうしようもなかった。

だから、逃げた!

車中泊を繰り返し、

とうとう5日連続無断欠勤。

今頃、会社では大騒ぎになってることだろう。

かまわない、

自分が決めたことだ。

会社を辞める覚悟だったんだ。

 

精神的に病んでいた。

食欲も無く、

只ひたすら、お酒を飲んだ。

不味かったが、

今の状況をひとときでも、脱したかった。

 

そんな夜に、

母親の顔が浮かんだ。

 

泣けてきた。

こんな息子で申し訳ない!

小さい頃から、

おかあさんの言うことに、

応えてきた。

いい大学に入学して、

大手のメーカーにも就職できた。

もう、これからは、

人生安泰だと確信した。

親の敷いたレールに安心して、

乗っかってきただけだ。

 

でも、大きな勘違いをしていたようだ。

 

出身大学や、

就職した会社の大きさで、

人生が決まるわけではない。

 

私のゴールは、

ずっと、その先にあるのに!

 

大学に入学した時点で、

私は、

人生のゴールに着いた!

と勘違いしていた。

 

還暦になり、

ようやく、そこに気づいた。

 

 

時を戻そう。

 

私は、北進を続け、

気がつけば、

秋田県の八郎潟のドライブインにいた。

そこで、

母親の顔が浮かんだのだ。

 

翌朝、公衆電話から、

実家に電話をかけた。

 

「あんた、どこにいるの?」

「今は言えない」

「はよ、帰ってきい!」

「うん」

 

一安心したら、

一気に、食欲が出てきた。

ドライブインにあるレストランで、

「きつねうどん」を食べた。

美味しかった。

 

クルマで実家に戻るのは、

ツライので、

クルマはドライブインに置いて、

夜行列車で、実家に戻った。

 

帰宅後、父親にひどく怒られた。

「サラリーマンとして、やってはいけないことをしたんだ!」

「自覚しろ!」

父からは、「忍耐」という言葉を頂いた。

 

仰る通りだと思った。

 

実は、アルコールの呑み過ぎで、

からだがだるかったので、

総合病院で、検査したところ、

肝臓の数値(γ-GTP等)が異常に高いので、

即入院となった。

 

私の逃亡劇は、ここで終了となった。

 

退院後、元の会社に戻った。

辞めるはずだったのだが、

父親に説得されて、

戻ることにした。

 

会社に戻ってから、

周りの方も、

普通に接してくれて、

有難かった。

 

聞いたところ、

私が居なくなって3日目から、

職場の同僚や、ラグビー部員の方々が、

チームを編成して、

能登半島から、京都の実家まで、

私を捜しまくってくれたそうです。

赤ペンで、まっ赤になった地図を見せてもらった。

私が居なかった場所をチェックした跡だ。

 

みんなの気持ちが伝わってきて、

泣いた。

 

「逃げる」ということは、

恥ずかしいことでは無いと思う。

ストレス社会の現在、

非常に有効な手段だと思う。

特に、

躁うつ病の私にとっては。

 

両親の期待に応えるために、

一生懸命、頑張り過ぎた。

だから、躁うつ病になったのだ。

時には、休めばいい。

立ち止まればいい。

「うつ」は、次の「躁」までの充電期間だ。

怠けているわけではない。

 

最後まで読んでいただき、

ありがとうございます。

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