引用元;https://natalie.mu/eiga/news/373337
志村けんさんが逝かれました。
小さい頃から、
慣れ親しんできた人が亡くなると、
もう、私の中では、処理し切れない出来事になります。
なんでや!
悲しさと怒りが同時にやってきました。
70歳という若さ。
まだまだ、やり残したことがあったことでしょう。
小さい頃から、
「8時だヨ!全員集合」を家族みんなで観てました。
厳しい父親も、一緒になって、笑っていました。
ドリフターズのメンバーの中では、
荒井注さんの大ファンでした。
「This is a pen!」
「なんだ、バカヤロウ!」
「文句あるか!」
「何見てんだよ!」
数々のギャグ!
強面で、不良っぽい姿に憧れました。
1974年3月に、
「体力の限界」を理由に脱退。
荒井注の代わりに、
ドリフターズに加入したのが、
志村けんでした。
荒井注ファンでしたから、
非常にショッキングなことでした。
最初の2~3年間は、まったくウケず、
すべりまくっていました。
荒井注の存在感が、志村けんには無かったからです。
ようやく、志村けんが認知されたのは、
「東村山音頭」からでしょうか。
私は、高校生になり、
まったく、面白いとは思いませんでした。
ドリフターズでは、笑わなくなりました。
少しおとなになったからでしょう。
その後の志村けんの活躍は、
皆さん、ご存知のことでしょう。
私も、「バカ殿」は、
くだらないですが、
ついつい観てしまいました。
お子さんから、ご年配の方まで、
幅広く愛されたコメディアンは、
もう出てこないでしょう。
人柄の良さが顔に出ています。
若い頃の刺々しさが、すっかり消えて、
ダンディーで、優しさの溢れる佇まい。
こんな男になりたいものだ。
謹んでお悔やみ申し上げます。
合わせて、新型コロナウィルスの早期収束を
祈念します。
ここまで読んでいただき、
ありがとうございます。
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