小学生の頃の夢

この前、実家から送られてきた荷物の中に、

小学校の卒業アルバムもあった。

ページをめくっていると、

懐かしさで、泣きそうになりました。

 

小学4年生から、6年生まで、

クラス替えがなかったので、

ほとんどの同級生の名前を覚えている。

しかも、フルネームで!

3年間、同じクラスだと、

嫌でもそうなるのだろう。

仲の良いクラスだった。

 

全体写真の横に、

寄せ書きがあった。

自分は、何を書いていたのだろうか?

と、よく見てみると、

 

一生を人類の幸福に捧げる

 

とあった。

どこから、このフレーズを持ってきたのだろうか?

政治家志望だったのだろうか?

いやっ、違います!

 

私の夢は、

新聞記者になることだった。

この動機については、

非常に不純な、いやっ、純粋な気持ちが入っている。

 

理由は、こうです。

クラスの中に、好きな女の子がいました。

美人で、勉強が出来て、

学級委員もやっていた女の子だ。

私にとって、雲の上の存在だった。

 

私は、当時から、奥手で、

女の子としゃべることは苦手だった。

女の子から話しかけられると、

顔を真っ赤にして、

たどたどしい会話しか出来なかった。

 

それでも、なんとか、

彼女に気づいてもらおうと努力した。

確か、社会の授業の中で、

おとうさんの仕事を発表する授業があった。

 

彼女の順番が来て、

発表した。

なんと、彼女のおとうさんは、

新聞記者だったのだ。

 

それを聞いて、即座に、

カッコいい!と思った。

 

彼女のおとうさんと同じ新聞記者になれば、

彼女と話すきっかけになると考えていたのだろう。

 

当時は、新聞記者が、

どんな仕事をするのか、

十分に理解していなかったと思う。

それでも、何がなんでも、

新聞記者になりたかったのだろう。

 

これが、理由です。

いかにも、小学生らしい、幼稚な考え方である。

 

その後、中学、高校と進学するにつれて、

その思いは、徐々に薄らいでいった。

頭の片隅にはあったが。

 

勉強するにつれて、

自分は、数学や物理に興味があり、

理系タイプの人間だとわかった。

その流れで、自分の進路は、

技術者、研究者へと変化していった。

 

60を前にして、

もう一度、

新聞記者に挑戦してみよう!という気持ちが、

湧き上がっている。

モノを書くことは好きである。

取材能力は、未知数。

新聞記者がダメなら、

フリージャーナリストになればいい。

思いは通ずるかも知れない。

今後の私の言動に注目!

 

ここまで読んでいただき、

ありがとうございます。

皆さんも、小さい頃の夢を思い出してみては?

きっと、刺激が得られると思います。

 

いくつになっても、挑戦できる!

始めたら、始まりさ!

寄せ書き

始めたら、始まりさ!

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