還暦前の厄除けに行ってきました!

昨日、平塚八幡宮まで、

還暦前厄除けに行ってきました。

日頃、お世話になっている先輩から、

こう言われてたからです。

「去年から、

おかあさんが亡くなったり、

脊柱管狭窄症を患ったり、

良くないことが続いているから、

還暦前に、近くの神社で、

厄除けしてもらったらどうよ?」

 

この先輩の言葉を聞いて、

十分、納得して、

厄除けに行ってみよう!と思ってました。

決断してから、

行動に移るまで、

約1ヶ月を要しましたが、

昨日、ようやく、

実現の運びとなりました。

 

寒川神社にするか、平塚八幡宮にするか、

ずいぶん悩みましたが、

やっぱり、地元の平塚八幡宮に行くことに決めました。

 

平塚八幡宮まで、どうやって行こうか?

タクシーにするか?

バスで行くか?

 

退院後、公共交通機関を利用したことが、

無かったのと、

体調が非常に良くなってきたので、

ここは、勇気を出して、

バスで行くことに決めました。

 

退院後、初めてのバス

緊張しましたが、

なんとか、

平塚八幡宮まで、

たどり着きました。

 

神社の社務所の祈祷受付のところで、

予約をしました。

なんでも、30分置きに、

祈祷が行なわれるそうで、

待ち時間も少なく、

待ってる間に、

頂いた絵馬とお札に、

叶えたいことを書きました。

私の叶えたいことは、

杖無しで、歩けるようになること

です。

 

午前11時

ご祈祷が開始されました。

こんな畏まったところに、

来るのは、いつ以来だろうか?

そんなことを考えながら、

一生懸命、お祈りしました。

 

途中、私の名前が呼ばれて、

私のことを祈ってもらっているんだ!と、

改めて、納得しました。

 

最後に、宮司さんの講話を聞いて、

終了。

時間にして、約15分間でした。

 

これで、災難や、罪や、けがれ等が、

自分のからだから、

全部、抜け切ったように感じました。

 

気分は上々です。

なんか、スッキリした気分です。

 

たまには、こういうところで、

ご祈祷してもらうのも、

悪くない、

いやっ、

むしろ、進んで行くべきことだと思いました。

 

さあ、明日から、

再び、リハビリ、頑張るぞっ!

 

まずは、

中原日枝神社へ、

向かおう!

 

意外と、早く、

自分の夢が実現するかも知れない。

 

充実した一日を

送ることが出来ました。

 

感謝、感謝!

 

 

参道

絵馬

御柱

頂き物

 

お問い合わせは、コチラからお願いします。

     

    号外です!徳勝龍、涙の初優勝!

    引用元;https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200126-00000093-dal-spo

    今回は、

    号外として、

    書かせていただきます。

    大相撲ファンの私としては、

    どうしても、触れないわけにはいかず、

    ご容赦、お願いいたします。

     

    では、書きます。

     

    いやあ~お見事!

    徳勝龍、涙の初優勝!

     

    幕尻(前頭17枚目)での優勝は、20年ぶり!

    奈良県出身の力士では、98年ぶり!

    史上3位の高年齢優勝(33才5ヶ月)!

     

    記録ずくめの優勝となった。

    初場所が始まる前は、

    全くのノーマークだったと思う。

    誰が、この結果を予想出来たでしょうか?

    誰も予想しなかったと思います。

     

    優勝を決めた一番!

    千秋楽での大関 貴景勝との結びの一番!

    堂々たる相撲で、

    見事に勝利した!

     

    実は、私は、

    大の貴景勝ファンである。

    貴景勝とは、

    遠からぬ関係にある。

    実は、大学時代のラグビー部の後輩の甥っ子さんなんです!

    その後輩に教えてもらって以来、

    ずっと、貴景勝を応援していた。

    突き押し相撲一本の相撲っぷりに、

    惚れこんでしまった。

     

    従って、結びの一番は、

    当然、貴景勝を応援していた。

     

    結果は、徳勝龍の勝ち!

     

    あああ、負けた(貴景勝が)!

    イコール 徳勝龍が勝った!

     

    土俵上で、大泣きする徳勝龍を見て、

    私も、泣いてしまった!

    これで、よかったんだと、

    自分に言い聞かせた。

     

    優勝インタビューも、

    泣かせてくれた。

    関西人気質か、

    笑いを取ろうとする姿が、

    微笑ましかった。

    しかし、

    場所中に亡くなられた恩師、

    近畿大学相撲部監督の伊東勝人さんの話に触れると、

    もう我慢出来なくなって、

    再び、泣いていた。

    私も、再び、もらい泣きをした。

     

    花の61年組」のひとりである、徳勝龍

    同期の力士が、どんどん出世していく中、

    彼は、相当、我慢していたと思う。

    私だったら、

    ついつい、ひがみ根性が出てしまい、

    その環境に耐えられなかったと容易に想像出来る。

    しかし、徳勝龍は、違っていた。

    周囲のことには、全く、堂ぜず、

    我が道を行く!を貫き通した!

    見事な精神力である。

    凡人の私には、

    到底、真似は出来ない。

     

    私なんかが、優勝してもいいんでしょうか?

     

    非常に謙虚な姿に感動した。

     

    若手力士が台頭している昨今、

    33才の徳勝龍の優勝は、

    非常に、新鮮味があり、

    土俵に、風を吹かせた。

    記憶に残る優勝になった。

     

    今後の徳勝龍の活躍に期待する。

     

    もう33才ではなく、

    まだ、33才である。

     

    お問い合わせは、コチラからお願いします。

      自分で決めた「神社参拝リハビリ」

      初詣に行った翌日から、

      私は、毎日、

      中原日枝神社に参拝している。

      距離的にも、負荷的にも、

      リハビリに適していると、

      判断したからだ。

      初詣に、自力で、

      行けたことが、

      大きな自信につながったのだ。

       

      朝の9時半頃に、出発して、

      11時前に帰宅する。

      帰って来たら、

      もう、汗ビッショリ!

      即、シャワーを浴びて、

      満足感に浸る。

      人間は、何か、日課を決めて、

      それを、毎日、確実に、こなしていくと、

      生活にリズムが出て来て、

      何をやるにしても、

      意欲的になるものだと思う。

       

      先日、いつものように、

      参拝して、

      境内の近くで、

      ラジオ体操、アキレス腱伸ばしをやっていたら、

      初老の男性に声をかけてもらった。

       

      「どうされたんですか?」

      脊柱管狭窄症で、リハビリしてるんです。」

      「そうでしたか。

      脊柱管狭窄症には、

      足を冷やさないことですね。」

      「あと、足の指をグーパーするのもいいですよ。」

      「ありがとうございます。

      それにしても、お詳しいですね。」

      「私、針、灸の整体師、やっています。」

       

      思いがけない出会いだった。

       

      家にずっと、閉じこもっていると、

      顔の表情も暗くなるが、

      この神社参拝リハビリを始めて、

      外の空気を吸うと、

      表情も和み、

      顔付きも、明るくなるようだ。

       

      だから、整体師の方も、

      気軽に、

      私に声をかけられたんだと思う。

      斉藤一人さんが、

      こう言っておられた。

       

      ブスッとして、

      暗い顔をしているだけで、

      周りの人々に、迷惑をかけているんだよ。

       

      これを聞いて、

      私は、ハッとした。

       

      母が存命中、

      私は、ゴールデンウィーク、お盆、年末年始には、

      必ず、実家に帰省していたが、

      実家に戻っても、

      ブスっとした顔で、

      会話もほとんどしなかった。

      まさか、私が、

      母や、兄貴夫婦、甥っ子、姪っ子に。

      迷惑をかけていたと思うと、

      非常に情けなく、恥ずかしさで一杯になった。

       

      もっと、明るく振舞えばよかった!

      もっと、母と会話をすればよかった!

       

      今となっては、

      それも叶わなくなった。

       

      今年、私は、還暦を迎える。

      還暦を機に、

      生まれ変わろうではないか!

       

      人並みの苦労や、喜びを経験してきた。

      それらを糧にして、

      人生、再スタートだ!

       

      まだまだ、人生は長い。

      ラストスパートを切るには、早すぎる。

      自分のゴールを目指して、

      前向きに、

      がむしゃらに、

      生きよう!

      後悔しないように。

       

      私は、この神社参拝リハビリを始めて、

      自分の中で、

      何かが変わってきていることに、

      気づいている。

      もちろん、良い兆しだ。

      その良い兆しを、

      現実化させようではないか。

      きっと、いいことが起きる。

      それを信じて、

      今日も、リハビリに励む。

      斉藤一人さんの「覚悟の話」(32分強)

      お問い合わせは、コチラからお願いします。

         

         

        脳筋ラガーマンとは?

        いつも、このブログを訪れていただき、

        ありがとうございます。

        まだ、皆さんに、自己紹介をしていなかったので、

        今回は、自己紹介させてもらいます。

        最後まで、読んでいただければ、

        幸いです。

         

        私は、「脳筋ラガーマン」と呼ばれています。

        私を表現するのに、

        ピッタリな「あだ名」だと思っています。

        まずは、前半の「脳筋」から、

        説明いたします。

        「脳筋」とは、

        みそが肉」、「みそまで肉」の略語です。

        皆さんは、「脳筋」と聞いて、

        どんなイメージを持たれるでしょうか?

        私は、こんなイメージを持っています。

         

        何事にも、一途で、単純で、

        力が有り余っていて、

        なんでも、力任せで、

        困難な状況を打開しようとする。

        そのため、

        大きな失敗や、新たな問題を引き起こすことがある。

        周囲の人からは、

        「また、やらかしよった(笑)!」

        「そろそろ、学習せいよ(笑)!」

        「不器用なやっちゃなあ~(笑)」

        という声が聞こえてきそうな存在。

        失敗やミスをするが、

        憎めないヤツなんだよなあ~

         

        これが、私のすべてです(笑)!

         

        脳筋」に継ぎ足すといえば、

        後半の「ラガーマン」になります。

         

        文字通り、

        ラグビーをする人です。

        今は、「脊柱管狭窄症(セキチュウカンキョウサクショウ)」を患い、

        ラグビーなんて、危険なスポーツは出来る状態では、

        ありませんが、

        リハビリを頑張り、

        再び、ピッチ(グラウンド)に立てるよう、

        頑張っていきたいと思います。

         

        幼い頃は、

        たんぼで、ソフトボールを、

        日が沈むまで、

        夢中にやっていました。

         

        ある時、遊び友達としゃべっていました。

        「中学にいったら、野球部に入るのか?」

        「丸坊主は嫌やなあ~」

        「テニスがいいんちゃうか?」

        「そやな!」

        「テニス部に入ろう!」

         

        ということで、

        中学校では、

        軟式テニス部に入部しました。

        テニス部は、丸坊主にする必要もなく、

        女子部員もいたりして、

        楽しく、軟弱?に、

        中学生活を送りました。

         

        高校に入学しても、

        そのまま、

        軟式テニス部に入部しました。

        それなりの活躍は、していたと思います。

         

        まだ、ラグビーが出てきませんねえ~

         

        お待たせいたしました!

        ここから、

        ラグビーと出会った経緯を、

        説明させていただきます。

         

        ある日、

        テニスで素振りをしていた時に、

        体育の先生が来られて、

        次のように、言われました。

         

        「おまえなあ、

        ラケット、似合ってないぞ!」

         

        純粋な私にとっては、

        衝撃的なひとことでした!

         

        当時の私は、

        身長 180cm

        体重  80kg

        の、筋肉質で、

        比較的、体格もいいほうでした。

         

        それにしても、

        「ラケット、似合ってない!」って!

         

        さらに、体育の先生は、続けました。

         

        「おまえ、大学に入ったら、

        ラグビーせえ。」

         

        ラグビーって、

        あの不良の集まり(あくまで、私見です)!

         

        しばし、呆然としました。

         

        時が過ぎ、

        大学に入学した私は、

        さあ、何部に入ろうか、

        迷っていました。

        そんな時に、

        高校の体育の先生に言われた言葉を、

        思い出して、

        とうとう、

        ラグビー部に、入部しました。

        以来、

        社会人になっても、

        ラグビーを続けました。

        よく、ラグビーの世界では、

        こう言われています。

         

        一旦、ラグビーの世界に入ったら、

        一生、その世界からは、逃れられない

         

        詳しい理由は、

        わかりませんが、

        私は、今、実感しています。

         

        私の理解は、

        強制的に逃れられない!のではなくて、

        ラグビーが好きだから、

        ラグビーから、離れられない!、

        ということだと思います。

         

        以上、長々となりましたが、

        私の自己紹介とさせていただきます。

        ここまで、読んでいただき、

        本当にありがとうございます。

        引き続き、

        精力的に、

        記事を更新していきますので、

        ご拝読いただければ、幸いです。

         

        ではでは、

        この辺で、失礼いたします。

         

        追伸

        脳筋ラガーマン」は、

        ちょっと長いので、

        脳筋さん」とお呼びください。

         

        お問い合わせは、コチラからお願いします。

          初詣に行ってきました!

          すっかり、正月気分も抜け、

          一月も、下旬に差し掛かろうとしていた。

          体調は、すこぶる良くなってきている。

          まだ、しびれは残っているが、

          歩くことには、全く、影響が無い。

          問題は、階段の上り下りだ。

          自宅は、賃貸マンションの3階に住んでいるが、

          1階まで、階段を下りる勇気が出ない。

          階段で転倒したら、

          階段を転げ落ちて、

          再び、入院だ。

          この不安が大きく、

          ついつい、躊躇ってしまう。

          でも、自宅から出て、

          外の空気も吸いたいものだ。

          さぞかし、気持ちのいいもんだろう。

          その両方の気持ちが交錯して、

          外に出たいという気持ちが勝った。

           

          とある日、私は、自力で、

          階段を下りることに挑戦した。

          まず、一段目の階段。

          杖を左手に持ち、

          一段下のところに着けて、

          上半身は、壁にもたれかかるようにして、

          右足を一段下のところに着けた。

          そのあと、左足を一段下のところに着けた。

          おお、一段目を下りることが出来た。

          あとは、今の要領で、

          一階まで、下りるだけだ。

          時間はかかったが、

          なんとか、一階まで、

          階段を下りることが出来た。

          階段を下りることが出来たら、

          外出だって出来る。

          今年は、初詣をあきらめかけていたが、

          自宅近くの神社だったら、

          歩いていけるのでは?

          早速、自宅近くの神社を、

          インターネットで調べた。

          ありました!

          中原日枝神社!

          自宅からの距離が500m

          往復して、1km

          適当な距離だ。

          歩くことには、不安が無いが、

          長距離、歩くのは、

          若干、不安があった。

           

          勇気を出して、

          中原日枝神社に、

          初詣に行くことにした。

           

          階段を下りて、

          外に出た。

          空気が気持ちよかった。

          日差しを浴びるのは、久しぶりだ。

          うーん、気持ちいい!

          いざ、出発!

          順調に歩き出した。

          時折、杖は使わずに、

          集中しながら、

          中原日枝神社を目指した。

          約20分後、

          中原日枝神社に到着!

          初めての外出で、

          疲労感はあったが、

          達成感のほうが上回った。

          大満足である。

          早速、手洗い場で、

          手を清め、

          境内に向かった。

          ひっそりした佇まいであるが、

          荘厳な気持ちにさせる神社だ。

          他にお参りしている人はいなかった。

          2礼、2拍手、1礼

          自由に歩けるようになることと、

          甥っ子の大学合格をお祈りした。

           

          境内で、ストレッチや、

          ラジオ体操を行なった。

          ラジオ体操も、

          真剣にやると、

          結構辛いものがあった。

          しばらく、休憩を摂り、

          帰路についた。

          所要時間、約1時間

          汗ビッショリになった。

          帰宅後、シャワーを浴びて、

          心地よい気分になった。

          初詣に行けたなんて、

          ほんと、信じられなかった。

          令和2年の初挑戦は、

          見事に成功を収めた。

          手洗い場

          中原日枝神社本殿

          壁画

           

          お問い合わせは、コチラからお願いします。

             

            一日一笑とは?

            ブログタイトルの中の「一日一笑」について、

            語らせていただきます。

            この言葉の由来は、

            天台宗大阿闍梨の酒井雄哉さんの著書「一日一生」から、

            きています。

            それを文字って、「一日一笑」にしてみました。

            その意図については、後半にお伝えしますので、

            最後まで、読んでいただきたく、

            よろしくお願いいたします。

            引用元;https://honto.jp/netstore/pd-book_28310363.html

             

            まず、「一日一生」の意味について、

            説明します。

            著書の中では、

            一日一生」とは、

            一日が、一生と思って生きる

            身の丈にあったことを、毎日くるくる繰り返す

            となっています。

            いいことが書いてありますね。

             

            私は、①の、一日が、一生と思って生きる というのに、

            深い感銘を受けました。

            私なりの解釈ですが、

            明日のことは予測出来ない。

            ひょっとしたら、明日、死んでしまうかも知れない。

            そんな予測不能な世の中ですので、

            明日死んだとしても、

            まだ生きている、今日を精一杯生きる!

            後悔の無いように生きよう!

            私はこんなふうに、

            一日一生」という言葉を捉えました。

             

            そんな「一日一生」の意味を持たしながら、

            「生」の字を文字って、

            「笑」の字に置き換えました。

            笑う、笑顔で過ごすことは、

            人生を豊かにしてくれますし、

            どんなに辛い時でも、

            笑顔で過ごせたら、

            辛いことも、

            吹き飛んでしまうのでないでしょうか?

            また、笑顔を心がけていると、

            周囲の人たちも、自然と寄ってきますし、

            自分だけでなく、

            周囲の人にも、

            幸せな気持ちにさせます。

             

            誰かが言ってました、

            ブスッとした、暗い顔をしているだけで、

            周りの人達に、

            迷惑をかけているんだよ!と。

             

            この言葉は、

            私にとって、衝撃的でした。

            久しぶりに、実家に戻っても、

            ブスッとした顔をして、

            大した会話もしなかったことを、

            深く、反省しています。

            まさか、周囲の人に迷惑をかけていることには、

            気づきませんでした。

             

            今回、予期しなかった病「脊柱管狭窄症」になってしまったわけですが、

            辛い時でも、

            笑顔を忘れず、

            一日一笑」の気持ちで、

            日々、暮らしていこうと考えました。

             

            以上が、タイトルの「一日一笑」の由来です。

            拙い文章で、申し訳ありませんでしたが、

            ご理解いただけたでしょうか?

            よろしかったら、

            感想を、

            下部にある「お問い合わせフォーム」から、

            ご記入いただくと、

            この上ない幸せを感じます。

            よろしくお願いいたします。

            ではまた。

             

            最後に、最近、ハマッている唄がありますので、

            添付いたします。

            元気がもらえる唄です。

            よかったら、聴いてみてください。

             

             

            お問い合わせは、コチラからお願いします。

              「脊柱管狭窄症」そもそもの原因は?

              術後、2ヶ月が経過しようとしている。

              ようやく、冷静になって、

              昨年夏頃からの体調の異変について、

              振り返ることができそうだ。

              まず、昨年の4月11日までは、

              非常に活動的で、

              少年ラグビースクールのコーチをやったり、

              選挙のボランティア活動をやったり、

              セミナーに参加したりと、

              飛ばしすぎではないか?と

              思われるくらいに、

              生き生きと生活していた。

               

              すべての根源は、

              4月12日(金)の一本の電話に、

              あるのではないかと思う。

              以前にも書いたことではあるが、

              私は、おかあさんとの約束で、

              毎週月曜日、金曜日の昼休みに、

              私が、実家に電話をかけることになっている。

              ほとんど、おかあさんの一方通行の会話になるが、

              おかあさんは、

              私の電話を非常に楽しみにしていたようだ。

               

              4月12日(金)

              私は、普段のように、

              おかあさんに電話した。

               

              すると、おかあさんの声とは違う、おばさんが、

              電話に出てくれた。

              私は、異変を感じ、

              詳細をおばさんに訊いた。

               

              そうです、

              おかあさんが倒れた!!!

              のです。

               

              この時の衝撃は、

              尋常ではなかった。

               

              おかあさんとの思い出が、

              走馬灯のように駆け巡った。

               

              私は非常に泣き虫で、

              気の弱い子供であった。

              おかあさんは、なんとかしようと、

              私をボーイスカウトに入団させた。

              初めてのキャンプに出かける時に、

              バスを見送るおかあさんに向かって、

              私は、大声で泣いた。

              初めての外泊だった。

              今でも、この時のことは、

              鮮明に覚えている。

              寂しかったですよ。

              悲しかったんですよ。

               

              ある時は、

              雷が怖くて、

              おかあさんの足にしがみついていたことも、

              あったっけ。

              怖かったんですよ。

              おかあさんは、私を払いのけようとするが、

              私は、絶対、足を離さない。

               

              他にも、たくさんの思い出があります。

              ここでは、

              もうこのあたりにしますが、

              今でいう「超マザコン」だったんですね。

              それが、大人になっても、継続中です。

               

              話を元に戻します。

              4月12日の電話の件以来、

              私は、落ち込みました。

              生活は乱れ、

              何もやる気がしない状態に入りました。

              いわゆる「うつ病」です。

               

              パソコンも開かない。

              Facebookも更新しない。

              風呂にも入らない。

              ただ、アルコールを飲んで、

              ぐっすり眠りたい。

              誰にも会わない。

              こんな生活を送っていました。

               

              当然、何らかの異常が起こっても、

              不思議はありません。

               

              私の異変は、

              夜、寝ている時に起こりました。

              夜中、尿意を催し、

              起き上がろうとするのですが、

              全然、立ち上がれない!

              立ち方を忘れたかのように。

               

              この頃から、

              足の痛みを感じていました。

               

              今回の「脊柱管狭窄症」の発症は、

              この不規則な生活を続けたことと、

              メンタル面で、非常に落ち込んだことが、

              起因しているようです。

               

              それと、私は、学生時代に、

              ラグビーをやっていました。

              少なからず、

              首、腰に負担がかかったのでしょう、

              何度も、腰痛、首の捻挫を繰り返しました。

              危険なスポーツです。

              生半可な気持ちでは、

              ラグビーをやって欲しくない。

               

              私は、今回の件を、こう考えています。

              おそらく、

              学生時代に痛めた首、腰が、

              加齢とともに、

              発症したのだと。

              原因の大半は、

              私の乱れた生活にあったことは、

              否定できないが。

               

              術後、2ヶ月になって、

              過去を振り返ってみました。

              何かの参考になれば幸いです。

              ここまで、読んでいただき、

              ありがとうございました。

              追伸

              おかあさんは、

              7月10日に亡くなりました。

               

               

              問い合わせは、コチラからお願いします。

                 

                自動車保険の更新及び車検

                自動車保険の満期日と、車検の満了日が迫っていた。

                まず、自動車保険。

                もちろん、ネット更新で、

                処理したいので、

                積算距離計(オドメーター)の数値を

                確認する必要があった。

                そこで、、駐車場まで(自宅から約300m)

                杖をついて、

                マイカーにたどり着いた。

                年末が押し迫っていた頃である。

                リモコンキーを押しても、

                うんともすんとも言わない。

                ヘッドライトも点かない。

                約半年くらい、

                クルマに乗っていなかったから、

                バッテリーが上がっているかも?

                リモコンキーが効かないので、

                キーを鍵穴に差し込んだ。

                開かない!

                鍵穴がバカになっていた。

                そこで、助手席側に廻って、

                鍵を開けようとしたら、

                助手席側には、

                鍵穴が無かった。

                今時のクルマは、

                鍵穴は、運転席側の1ヶ所にしか、

                無いようだ。

                そこで、JAFに電話して、

                来てもらった。

                バッテリ上がりを直すためには、

                まず、扉を開けなければいけない。

                JAFの作業者は、

                鍵を開けるために、

                ウィンドウと、柱の隙間に、

                エアジャッキを挿入して、

                隙間を作って、

                その隙間から、

                長い棒状の金属棒を入れて、

                運転席内部にある、

                ロックボタンを解除側に、動かして、

                何とか、扉を開けることに成功!

                合わせて、

                バッテリー上がりも直してもらった。

                鮮やかな手さばきに感心した。

                JAFさまさまである。

                私は、積算距離計(オドメーター)の

                数値を記録して、

                自宅に戻った。

                早速、パソコンで、

                自動車保険の更新手続きを行ない、

                無事、自動車保険が更新出来た。

                次に、車検である。

                いつも、お願いしている、

                整備工場に電話して、

                日程を決めた。

                ひとつ、

                私には、気になることがあった。

                それは、

                昨年の初めから、

                頻繁に送られてきた、

                エアバックリコールのお知らせである。

                助手席側のエアバックに不具合があるようだったが、

                私は、滅多に、

                助手席には、人を乗せないので、

                ずっと、そのお知らせを無視していた。

                確認のため。

                整備工場の方に、

                リコールのことを伝えると、

                リコール対策しないと、車検が通りませんよ!」と、

                言われた。

                そうなんだ!

                自分の無知を恥じた。

                早速、ディーラーに電話して、

                リコール対策をしてもらった。

                日程がカツカツの状況であったが、

                何とか、車検も通過することが出来た。

                リコール対策の翌日に、

                車検を通過させるという、

                綱渡り状態だった。

                ひと仕事終えた感じだった。

                フウウ~

                リコールを放置して車検に出すと車検に通らないか?

                リコールを放置して車検に出した場合、車検には絶対通らないのでしょうか。これは、リコールの内容によって変わってきます。保安部品のような「車検検査該当項目」のリコールであれば、そのままでは車検に通らない可能性があります。しかし、保安基準と関係しない箇所のリコールであれば、車検には無関係と言えるでしょう。例えば、塗装の不具合や強度の弱く破損してしまう可能がある空調パネルのスイッチなど、車検の検査項目には該当しない場合などが当てはまります。また、車検を別の自動車メーカー系列ディーラーや指定整備工場などへ依頼する場合は、リコール情報や対策を全て把握しているわけではありません。予め車検に出す予定の車がリコール対象であると認識している場合は、相談した上で車検を依頼することをおすすめします。自動車メーカー系列ディーラーに車検に出す場合は、その車種のリコール情報を把握していますので、リコール対策後、車検をすることは可能です。ただし、リコール対象車が多い場合などは、予約がなかなか希望通りにできない可能性があるので、余裕を持って打診する必要があります。引用元;https://www.goo-net.com/pit/magazine/30163.html

                 

                お問い合わせは、コチラからお願いします。

                  介護タクシー

                  皆さん、介護タクシーは、ご存知ですか?

                  ここ最近、私は、よく見かけます。

                  車いすマークの付いている、ワンボックスカーです。

                  介護タクシーとは何か

                  介護タクシーとは、要介護者や体の不自由な人が利用するためのタクシーのことです。

                  主に車いすやストレッチャーのまま乗車できる車両を使用して、移動だけでなく運転手が利用者の介助を行う点が大きな特徴です。

                  その場合、業務として介助を行いますから、運転手はヘルパー2級などの介護福祉関連の資格が必要となります。

                  引用元;https://kaigo.homes.co.jp/manual/homecare/zaitaku_service/caretaxi/

                  脊柱管狭窄症を患ってから、

                  私は、20数回、介護タクシーを利用しています。

                  1回5000円として、

                  20回×5000円=100,000円以上の出費です!

                  1回5000円なんです!

                  領収証を見ると、

                  ・タクシーメーター運賃(距離に応じて)

                  ・乗降介助料金   1000円

                  ・屋内介助料金   1000円

                  ・階段介助料金   居住階数×1000円

                  ・休日・夜間割増  3000円/1名

                  と記述されています。

                  要介護(要支援)認定で、要支援2の私は、

                  全額個人負担になります。

                  介護保険を使った介護タクシーの利用は、

                  下記の通りです。

                  介護保険を使った介護タクシーの利用について

                  利用対象

                  保険適用となる対象者は、自宅、有料老人ホーム、ケアハウス、サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)などで生活していて、1人でバスや電車などの公共交通機関に乗ることができない要介護1~5の人です。※「要支援」と認定された方は利用できません。

                  引用元;https://kaigo.homes.co.jp/manual/homecare/zaitaku_service/caretaxi/

                  この金額を高いと見るか、

                  「安心」という、お金には代えられないものを、

                  獲得出来たと見るか、

                  それは、利用者の判断になります。

                  私は、後者です。

                  足元が覚束ない状態で、

                  自力で、階段を下りようとして、

                  転倒しようものなら、

                  即、再入院になります。

                  幸い、最近、階段の上り下りが、

                  自力で、出来るようになりました。

                  もう、介護タクシーのお世話になることは、

                  無いでしょう。

                  いい経験になりました。

                   

                  追記

                  神奈中タクシーでは、時間制運賃の付き添いサポートを行なっています。

                   

                  お問い合わせは、コチラからお願いします。

                     

                    ひとりぼっちの年末年始

                    いつもなら、

                    年末年始は、

                    実家の京都に帰省するのだが、

                    今回は、帰れそうにない。

                    歩行に、まだ難があり、

                    長距離の移動は困難である。

                    それと、

                    7月におかあさんが亡くなり、

                    実家には、今、誰も住んでいない。

                    兄貴が、実家近くに住んでいるが、

                    兄嫁さんに気を使わなくてはいけなく、

                    訪問する気にはなれない。

                    ということで、

                    今回は、自宅で、

                    年末年始を過ごすことにした。

                    初めて、

                    ひとりだけの年末年始になった。

                     

                    食べたかったなあ、

                    白味噌のお雑煮

                    それとお節料理!

                    作ってくれる人がいなくなってしまった。

                     

                    正月の前日の夜に、

                    おかあさんがいつも尋ねる。

                    「おもち、何個食べるの?」

                    「四つ」

                    いつもの定番の会話だ。

                    何気ない会話が出来なくなってしまったんだ。

                    寂しい。

                     

                    少し、感傷的になってしまった。

                     

                    30日に、

                    行きつけの居酒屋のママから、電話があった。

                    「31日に、かにすき鍋やるから、来ない?」

                    「はい、行きます。ありがとうございます。」

                    うれしいお誘いである。

                    ママには、お世話になりっ放しだ。

                    美味しくいただきました。

                    年越しそばも、作ってくれました。

                    美味しくいただきました。

                     

                    正月3が日は、

                    箱根駅伝を観たり、

                    大学ラグビーを観たり、

                    いつもの年末年始と変わらなかった。

                    ただ、お雑煮だけは、食べていない。

                    京都のお雑煮は、

                    白味噌仕立てで、

                    具は、おもちの他、

                    だいこん、にんじんの輪切りだけで、

                    あとは、上から、

                    かつお節をふりかける。

                    シンプルだけど、

                    非常に美味しい。

                    ああ、食べたい~

                     

                    1月3日からは、

                    昨年、放映された、

                    ドラマ「ノーサイド・ゲーム」を、

                    イッキ見した。

                    再び、号泣した。

                    ストーリーはわかっているのに、

                    同じ場面で号泣してしまった。

                     

                    このドラマは、

                    ラグビーワールドカップ直前に放映されて、

                    非常にタイムリーなドラマだった。

                    このドラマを見て、

                    ラグビーに興味を持たれた方も多いのでは?

                    ラグビー最高っ!

                     

                    また、ラグビーがやりたいなあ~

                     

                    ノーサイド・ゲームの詳細は、コチラをクリックしてください。

                    ノーサイド・ゲーム主題歌(米津玄師 馬と鹿)

                     

                    お問い合わせは、コチラからお願いします。