4月13日(土) 10:07 京都駅着
少し、早めの到着、
兄と約束した11時には、十分間に合う。
早めの昼食を済ませ、病院に向かった。
病院に到着すると、兄が先に待っていてくれた。
二人で、おかあさんのいる病室に入った。
病室に入ると、
酸素マスクや、点滴管、計測器に繋がれている、
おかあさんがいた。
ぐっすり、眠っているようで、
話しかけても、反応は無かった。
眠っているおかあさんに向かって、
「おかあさん、ボクのことは心配いらんから!
周りに、素敵な友達がいっぱいいるから。
おかあさん、今度は、自分のこと、心配してね。」
と言って、病室から出て、
主治医の先生の説明を聞いた。
昨夜、電話で聞いた、兄からの説明と同じだった。
・手術はしない
おかあさんのからだに、負担が掛かるから
・延命治療はしない
おかあさんの希望でもあった
以上の2点で、兄と同意した。
今、振り返ってみると、
この出来事(おかあさんが倒れる)が、
後々、発症する「脊柱管狭窄症」の大きな要因になったと思う。
背骨の中を通る脊髄からの神経の通り道を脊柱管といいます。脊柱管狭窄とは、この脊柱管を構成する骨や靱帯の肥厚、椎間板の突出などで脊柱管が圧迫を受け狭くなる病気のことを言います。
引用元;https://www.iwai.com/seikei-qa/content/002-kyosakusho.php
私は、中学校でのイジメが原因で、
長年「躁うつ病」を患っています。
約40年間の付き合いになります。
もはや、「病気」ではなく、「自分の個性」だと認識しています。
今回の出来事により、
私は、当然のように、何百回目かの「うつ」状態に入りました。
直前の私は、「躁」状態で、
ラグビースクールのコーチをしたり、
選挙ボランティアの一員として、
充実した毎日を送っていました。
「うつ」状態に入った私は、完全な「引きこもり」状態になります。
・Facebookは更新しない
・パソコンの電源を落とす
・呑みに出かけない
・朝、目覚めたら、コンビニに行き、ビールを買う
・朝から、ビールを呑み、酔いつぶれて、爆睡する
・運動しない
こんな不規則な生活を約2ヶ月間、続けていた、ある日、
異変が起こった。
就寝して、午前2時頃、尿意で、目覚めてしまい、
立ち上がろうとするのだが、
立ち上がれない!
「立ち方」を忘れてしまったかのように。
仕方なく、「失禁」してしまった。
こんなことが、2~3回、起こった後に、
とうとう、左足が痛くなり、歩行困難になりました。
重い腰を上げて、病院に行ったら、
「脊柱管狭窄症」と診断され、
リハビリ生活が続きました。
夏の暑い日のことでした。
つづく
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