術後、2ヶ月が経過しようとしている。
ようやく、冷静になって、
昨年夏頃からの体調の異変について、
振り返ることができそうだ。
まず、昨年の4月11日までは、
非常に活動的で、
少年ラグビースクールのコーチをやったり、
選挙のボランティア活動をやったり、
セミナーに参加したりと、
飛ばしすぎではないか?と
思われるくらいに、
生き生きと生活していた。
すべての根源は、
4月12日(金)の一本の電話に、
あるのではないかと思う。
以前にも書いたことではあるが、
私は、おかあさんとの約束で、
毎週月曜日、金曜日の昼休みに、
私が、実家に電話をかけることになっている。
ほとんど、おかあさんの一方通行の会話になるが、
おかあさんは、
私の電話を非常に楽しみにしていたようだ。
4月12日(金)
私は、普段のように、
おかあさんに電話した。
すると、おかあさんの声とは違う、おばさんが、
電話に出てくれた。
私は、異変を感じ、
詳細をおばさんに訊いた。
そうです、
おかあさんが倒れた!!!
のです。
この時の衝撃は、
尋常ではなかった。
おかあさんとの思い出が、
走馬灯のように駆け巡った。
私は非常に泣き虫で、
気の弱い子供であった。
おかあさんは、なんとかしようと、
私をボーイスカウトに入団させた。
初めてのキャンプに出かける時に、
バスを見送るおかあさんに向かって、
私は、大声で泣いた。
初めての外泊だった。
今でも、この時のことは、
鮮明に覚えている。
寂しかったですよ。
悲しかったんですよ。
ある時は、
雷が怖くて、
おかあさんの足にしがみついていたことも、
あったっけ。
怖かったんですよ。
おかあさんは、私を払いのけようとするが、
私は、絶対、足を離さない。
他にも、たくさんの思い出があります。
ここでは、
もうこのあたりにしますが、
今でいう「超マザコン」だったんですね。
それが、大人になっても、継続中です。
話を元に戻します。
4月12日の電話の件以来、
私は、落ち込みました。
生活は乱れ、
何もやる気がしない状態に入りました。
いわゆる「うつ病」です。
パソコンも開かない。
Facebookも更新しない。
風呂にも入らない。
ただ、アルコールを飲んで、
ぐっすり眠りたい。
誰にも会わない。
こんな生活を送っていました。
当然、何らかの異常が起こっても、
不思議はありません。
私の異変は、
夜、寝ている時に起こりました。
夜中、尿意を催し、
起き上がろうとするのですが、
全然、立ち上がれない!
立ち方を忘れたかのように。
この頃から、
足の痛みを感じていました。
今回の「脊柱管狭窄症」の発症は、
この不規則な生活を続けたことと、
メンタル面で、非常に落ち込んだことが、
起因しているようです。
それと、私は、学生時代に、
ラグビーをやっていました。
少なからず、
首、腰に負担がかかったのでしょう、
何度も、腰痛、首の捻挫を繰り返しました。
危険なスポーツです。
生半可な気持ちでは、
ラグビーをやって欲しくない。
私は、今回の件を、こう考えています。
おそらく、
学生時代に痛めた首、腰が、
加齢とともに、
発症したのだと。
原因の大半は、
私の乱れた生活にあったことは、
否定できないが。
術後、2ヶ月になって、
過去を振り返ってみました。
何かの参考になれば幸いです。
ここまで、読んでいただき、
ありがとうございました。
追伸
おかあさんは、
7月10日に亡くなりました。
問い合わせは、コチラからお願いします。